【実施報告】原子力防災「放射線被ばく防護士」養成講座 第2期(2025年9月〜2026年1月)
講座の目的
2011年の福島第一原発事故。あのとき多くの人々が、放射性物質とはなんなのか?単位の意味すらも理解していないひとが多かったと思います。大きな混乱のなか錯綜した情報が飛び交い、何が本当で何は嘘なのかを見分けられなかったかもしれません。災害時にどのように情報が伝達されるのか、されないのか、できないのか、といった混乱も目の当たりにしてきました。
こうした経験をへて私たちは、「自ら知り・判断できる知識と経験を持つこと」がいざというとき被ばくを防ぐこと、命を守る力になると考えました。行政の発信をただ受け身で待つのではなく、自ら判断し、行動できる市民を育てる。
それが、3.11を教訓として未来へ防災意識をつなげることになる。そんな思いから「放射線被ばく防護士」養成講座は始まりました。
放射線被ばく防護士とは
みんなのデータサイト独自の資格で、原子力災害時に放射線被ばくから自分や周囲の身を守ることができる総合的な知識を身につけることを目指しています。座学と実地研修双方を履修し、課題を提出し、試験に合格することで放射線被ばく防護士として認定されます。
第2期の実施概要
| 区分 | 内容 |
| 事前基礎学習(オンライン) | 2025年9月13日、20日、27日、10月4日、11日、18日(計6日12コマ) |
| 実地研修(宿泊型) | 2025年11月22日〜24日(2泊3日) |
| 参加者数 | 基礎学習:24名/実地研修:6名 |
| 地域分布 | 北海道、関東、関西、山陰 |
| 修了・認定者数 | 5名(+1名は第1期にて取得済み) |
事前基礎学習(オンライン)のプログラム
0)自己紹介
1)みんなのデータサイトの放射線被ばく防護士とは
2)原子力災害の歴史
最近起きた災害危機
3)原子力の基本
4)福島第一原子力発電所事故
構内で起こったこと
5)健康影響について
6)原子力災害
7)原子力災害時の法体系
8)原子力災害対策指針(原災指針)
9)自治体の限界と住民の心構え
10)災害時の心理的バイアス
11)放射線防護の原則と現状の原子力防災体制
12)福島原発事故の経験から学ぶー原子力災害下の社会的な動き
13)避難者講演
◎福島県浪江町津島地区 今野秀則さん
震災当時の津島の話、津島訴訟について、津島について皆様に知って欲しいこと
◎福島県三春町 武藤類子さん
あの日風しもの町で起きたこと 東京電力・福島第一原子力発電所事故直後の福島県三春町での「安定ヨウ素剤」の配布
14)避難の判断 国の避難指示を受けてからでは被ばくを避けられない
15)空間線量測定
16)事故直後の防護が大事、8割はここで防ぐ―ヨウ素131と初期被ばく
17)食べものからの内部被ばくを防ぐーセシウム134・137原子力災害における汚染の拡散
18)原発事故と放射線被ばくのリスク論 低線量被ばくによる健康被害リスクは実害である
~因果律不明瞭問題で被害者を泣き寝入りさせないために
実地研修のプログラム
★1日目 大熊町 CREVAおおくま(放射線防護服着脱研修、測定器の種類と扱い方を知る研修、JAEA Analysis LAB/中間貯蔵事業情報センター見学)、周辺地域の線量調査実習
宿泊は小高の双葉屋旅館。お食事と懇親会(スペシャルゲスト・双葉屋女将 小林友子さん、おれたちの伝承館館長 中筋純さん、市民測定室 とどけ鳥 所長 白髭幸雄さん)
★2日目 おれたちの伝承館、市民測定室とどけ鳥見学、福島イノベーションコースト構想エリアの見学(水素エネルギー研究フィールド、集成材製造工場、ロボットテストフィールド、牧場等)、震災遺構浪江町立請戸小学校、東日本大震災原子力災害伝承館(双葉町)、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館(楢葉町)、原子力災害考証館(古滝屋9階)。予定外の浪江町「十日市」も見学しました。
宿泊は古滝屋。お食事交流会特別ゲストは 古滝屋当主・考証館館長の里見喜生さん。また同館に学習旅行で宿泊していた学生さんたちとのうれしい交流もありました。
★3日目
浪江町津島地区へ。津島の今野秀則さん・今野邦彦さんの講演ののち、スクリーニング場で防護服に着替え、帰還困難区域への立ち入り、見学し、解説をお聞きしました。
ご協力くださった方々:福島原発事故津島被害者原告団長今野秀則さん、津島地区出身で記録誌「100年先の子孫たちへ」編集委員会 副編集長の今野邦彦さん、「おれたちの伝承館」館長中筋純さん、市民測定所「とどけ鳥」所長白髭幸雄さん、双葉屋旅館小林友子さん、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館 安斎育郎さん・丹治杉江さん、古滝屋当主・原子力災害考証館館長 里見喜生さん、そして3日間同行してくれた浪江町元原発作業員の今野寿美雄さんほか、多くの方に協力いただき、大変実りの多い研修をすることができました。改めて感謝申し上げます。
実地研修参加者のコメント(有志)
Yさん(北海道)
今回見学した帰還困難区域には、白い防護服に身を包みバスに乗りこみましたがバスの中でも線量計はぐんぐん上がります。けれども外で作業されている方はマスク一つの軽装、防護服では仕事にならないとのことでした。白い防護服に身を固めてたった2時間だけ線量計を手に訪問する外来者の自分、しっかり学んで伝えなければという思いを新たにしました。帰宅後、福島でのことを知り合いに話したら、「まだ帰還困難区域があるの?ニュースにならないから知らなかった。」とびっくりされました。そして北海道知事が泊原発再稼働を容認するという新聞記事。ついつい目先の日常生活に振り回されているうちに戦争も原発事故も突然やってきて足元をすくわれます。たった2,3日の避難だとおもっていたのに14年も帰れないままの津島の方々、かろうじて避難はできても帰れないということもっと知ってほしいとおっしゃっていました。避難計画を立てる自治体も避難された方の経験を生かし被ばく防護について真剣に学んでほしいと思います。
Aさん(神奈川県)
研修は二度目の参加となりましたが、たいへん充実した経験となりました。二泊三日というスケジュールで一度目の研修とは異なるメンバーとともに、時間をかけて一つ一つの場所を訪問することができたのは良かったと思います。今野寿美雄さんの説明もとてもわかりやすく、前回の研修では気づかなかったことなどをよりよく理解することができました。前回の研修で訪れた場所も再訪したのですが、風景が全く変わっていないところもあれば、かつて目にした風景が変わってしまっているところもあったことが衝撃的でした。震災遺構はあっても原発事故遺構はない。「復興」の名の下にそこにあった場所性が地図上から次々と消えていきます。そうした震災の記憶と原発の記憶が分断されていくような風景において、市民が放射線測定器を用いて自らの手で測定して測定記録を残すことの意義というものについて改めて考えさせられました。
Iさん(北海道)
あまりに理不尽な状況を目のあたりにし、強い衝撃を受けました。たくさんのことを経験させていただいたのに、ぜんぜん消化できていません。歴史を上書きしようとする圧倒的な力のなかにあって、事実を伝えようとしている皆さんのことを思えば、泊原発をめぐる状況にへこんでなどいられません。今野寿美雄さん、今野秀則さん、今野邦彦さん、そしてこのような機会を与えてくださったみんなのデータサイトのみなさんに感謝いたします。
Yさん(神奈川県)
第1期に続いての連続参加でしたが、2回とも現地に赴き、同行した方々と測定すること、そこに住まう人々と会話することで見え、感じることの重要性を強く感じさせてくれる研修でした。リアルな現在の福島を知りたい、感じたいと思う人に一人でも多く体験してほしい充実した内容。サポートしてくださった方々に感謝と尊敬の念でいっぱいです。あのような人災を二度と繰り返さないためにも、この繋がりを途切れさせず、意識を向けてみなさんと共に生きていきたいと思います。ありがとうございました。3回目の開催を心から願っています。
Dさん(鳥取県)
「地震そして原発事故は忘れた頃にやってくる」
2016年1月6日(火)10時18分。いつもと違う、揺れの地震。わたしの住まいは、鳥取県西部(米子市淀江町:島根原発から40㎞の距離)、部屋の中の(積み重ねている新聞と本が、崩れて、部屋は足の踏み場もなしの状態)。家そのものは特に被害なし。この揺れ、震源が遠くだったら、かなりの規模の地震だと思った。(阪神淡路大震災の時の揺れを思い出した)
テレビを見ると、震源地は島根県東部(鳥取県境に近いところ)、島根原発に近いところだ。幸い、原発より南に離れていて、M6.2とそんなに地震規模も大きくなく、島根原発の敷地は、震度3程度で、緊急停止もなく、「異常なし」ということだった。島根原発の直近(2㎞付近)には、宍道断層が走っている、そこでの地震でなくてよかった。
私が、この実践体験講座に参加したのは、15年前の福島原発事故を「忘れない」、そしていずれやってくるであろう原発事故時に的確に対応できるよう「知識」と放射線測定などの「技能」を身につけることが目的。
実際に参加(いろいろなものを実際に見、いろんな人の生の声・思いを聞き)してみて、そこに暮らしている人々が、地震・津波・原発事故の影響を受け、それが、15年経った今も続いており、それらとどう折り合いをつけながら日々の暮らしを営んでいるかについて、その一端を感じることができた。「忘れない」というのはそのような人たちの思いを能動的に受働し続けることだと思う。
この講座でいろいろな場所で放射線測定の機器を操作しながら記録し、匂わない・見えない・感じない放射線を数値化することにより、見て感じることができた。また、今後、あってはならないことだが、身近に放射線がやってきたときに、的確に対応できる第一歩となる知識・技量を身につけることができた。
研修を終えて 講師からのメッセージ
福島原発事故津島被害者原告団長 今野秀則さんからのメッセージ
本年は、福島原発事故に係る国・東電の責任を問うとともに、ふるさとの原状回復を求めて、仙台高裁で闘っている津島原発訴訟の控訴審が3/9(月)に結審し、夏~秋ころに判決が想定されます。まさに、津島原発訴訟にとって正念場の年です。
ご承知のとおり、2022.6.17の最高裁判決は原発事故に係る国の責任を否定しました。その後の下級審判決は全て6.17最判に従うコピペ判決となり、非常に厳しい情勢です。
高濃度の放射能に汚染され、現在もほぼ全域が帰還困難区域の、私たちのふるさと津島地区は、拭い去られるように地域社会が消滅し、復興再生にはほど遠い状況にあります。このような過酷な被害が生じているにもかかわらず、原発政策を推進した国の責任がうやむやにされ、許されてしまっていいのでしょうか。そもそも原発の設置許可時から過酷な被害が生じることは想定されていました。国は、万が一にも事故が起きないよう対策を講ずべきなのに、漫然と安全神話を流布し対策を怠ってきたのです。
事故直後、国は、100年は帰れないと住民に説明しました。私たちは呆然とするしかありませんでした。しかも、被害が未だ回復せず、原子力緊急事態が解除されてもいないのに、国は原発推進に舵を切りました。更に、昨年6/20閣議決定した復興に係る基本方針は、帰還困難区域について、バリケード開放などの立ち入り規制緩和、放射線量の個人管理、里山の恵み享受など、まるで原発事故の痕跡を消し去らんばかりの対応を推し進めようとしています。到底納得できません。
万が一事故が起きても、何とか避難は出来るでしょう。しかし、私たちのように帰ることは出来ないのです。原発再稼働に先んじて、避難計画の整備云々が議論されていますが、そもそも広範囲が帰還困難区域となって帰れなくなり、地域社会そのものが消滅してしまう過酷な被害が生じることを忘れているとしか思えません。それとも、敢えて見ようとしないのでしょうか?
私たち地域住民にとって、ふるさと・津島は何物にも替えがたい場所です。何としてもふるさとを取り戻すために、また、同様の事故再発を防ぐため、国を免責した6.17最判を正さなければなりません。事故後15年、提訴後10年、私たち原告団員もそれだけ高齢化し、長い闘いに疲れています。しかし、力を振り絞って闘い続けますので、皆さんのご理解とご支援を心からお願い申し上げます。
今野邦彦さんからのメッセージ
浪江町津島地区での実地研修、誠にありがとうございました。国は原発回帰を指向し、老朽原発まで再稼働させると同時に、福島での原発事故を無かったことにしようとしています。その思惑通り、国民の多くが「原発事故は過去のこと、終わったこと」と思い込まされています。被害者の声が掻き消され、教訓として生かされないことは無念でなりません。
研修に参加された皆様には、私達の想いを一人でも多くの方にお伝えいただきますよう、お願い致します。
「原子力緊急事態宣言」は現在も発令中です。