【実施報告】原子力防災「放射線被ばく防護士」養成講座 第3期(2026年5月〜2026年7月)
講座の目的
2011年の福島第一原発事故。あのとき多くの人々が、放射性物質とはなんなのか?単位の意味すらも理解していないひとが多かったと思います。大きな混乱のなか錯綜した情報が飛び交い、何が本当で何は嘘なのかを見分けられなかったかもしれません。災害時にどのように情報が伝達されるのか、されないのか、できないのか、といった混乱も目の当たりにしてきました。
こうした経験をへて私たちは、「自ら知り・判断できる知識と経験を持つこと」がいざというとき被ばくを防ぐこと、命を守る力になると考えました。行政の発信をただ受け身で待つのではなく、自ら判断し、行動できる市民を育てる。
それが、3.11を教訓として未来へ防災意識をつなげることになる。そんな思いから「放射線被ばく防護士」養成講座は始まりました。
放射線被ばく防護士とは
みんなのデータサイト独自の資格で、原子力災害時に放射線被ばくから自分や周囲の身を守ることができる総合的な知識を身につけることを目指しています。座学と実地研修双方を履修し、課題を提出し、試験に合格することで放射線被ばく防護士として認定されます。
第3期の実施概要
| 区分 | 内容 |
| 事前基礎研修(オンライン) | 2026年5月16、23日、6月13、20、27、7月4日 |
| 実地研修(宿泊型) | 2026年6月6、7日 |
| 口頭試問 | 2026年7月11、18日 |
| 参加者数 | 16人(オンライン研修のみの参加者を含む) |
| 参加者の地域分布 | 関東・中部・関西・北陸・東北 |
| 修了・認定者数 | 5人 |
第3期の特徴
これまでの1期・2期の参加者からのフィードバックを踏まえ、実地研修をオンライン研修の最中に配置し、前後をオンライン研修で挟むかたちにした。
実地研修に行く前に最低限の放射線・放射能の基礎知識や機器の操作方法等を学び、実地研修で見聞きして自分ごととなったのちに、オンライン研修のみの参加者の皆さんへの報告と、理論的な話や法体系等を学ぶことでモチベーション高く、より深く知識を身につけることを目指した。
浪江町津島地区
今回も、津島活性化センターで今野秀則さん・今野邦彦さんとお会いして、津島の状況、裁判のこと、今のお気持ちなど貴重なお話を、資料も用意していただいてたくさん伺いました。ありがとうございました。
その後、秀則さん・邦彦さんもご一緒いただき防護服を着てスクリーニングセンター経由で帰還困難区域へ入りました。無念にも解体された邦彦さんのご自宅跡地。先祖代々の家を解体する時は必ず連絡してほしいとお願いしていたのに、解体に立ち会えなかった無念。門には立ち入り禁止のゲートがありますが、その横は何もなくて低い段差を乗り越えれば簡単に敷地内に入れる不思議。今でもきちんと草刈りをされていて土地への愛着を感じました。
解体をしないと決めた秀則さんの松本屋旅館の前では、集合写真を撮りました。 どんな判断をするにもすごく苦しい・・・。お二人のお話を伺うにつけ、このような苦悩をしなくてはいけない状況そのものも、被害であると強く思います。
今回新たに伺ったお話では、元JAがあったところに「世界初のベニザケの陸上養殖場」を建設予定とのこと。
帰還困難区域の山の中に人工海水魚の養殖場?と、みんなびっくり。
これもイノベーションコースト構想の一環だそうです
また、私たちが訪れた次の週(6/13, 14)は、「ツール・ド・ふくしま」という自転車ロードレースが開催される予定でした。
驚くことに、この津島エリアもそのコースに組み込まれており、通行止めになるという看板を道中で何回も時折目にしました。
2023年から開催しているこのレースの大会公式サイトには、「沿岸部に新しく生まれた道でペダルを漕ぎ、避難が解除されたばかりの帰宅困難区域を駆け抜け、浜風を感じながら福島復興の今を感じてもらいたい。そして、復興に向けて歩みを進める福島の現在の姿を国内外に発信してもらいたい」とのメッセージがありました。
帰還困難区域の放射能汚染に対する注意喚起等はまったくみあたりませんでした。
防護服に身を包み、測定実習。
足カバーはバスに乗降するたびに新しいものに付け替えます。
見学と実習が終わり、スクリーニングセンターでバスや、靴の裏の汚染を汚染計でチェック。
防護服を自分を汚染させないように脱ぎ、代表の人がつけていたガラスバッジから、滞在中の累積被曝量を確認してもらいます。
宿泊と交流
今回も小高の双葉屋旅館さんにお世話になりました。美味しい晩ごはんを囲みながらの交流会は、おれたちの伝承館の中筋純さんも飛び入り参加。
女将の小林友子さん、いつもありがとうございます!
また、参加者同士で 常時からの空間モニタリングの全国的なネットワークができたらいいね、などのアイデアも出て、これから 検討していけたらと考えています。
おれたちの伝承館
2日目の朝、旅館前で記念撮影後、歩いて5分ほどの「おれたちの伝承館」へ。おれ伝アーティストの前川加奈さんは今回この研修に参加してくださったため、ご本人に作品についてのお話を聞くこともできました。
その他、これからいく浪江町のストリートビュー写真(7メートル長の町並みを写した写真)を見せてもらったり、1つ1つの作品をじっくりみたりと時間を過ごしました。
同じ敷地内になる市民放射能測定室「とどけ鳥」の見学もさせていただきました。あいにく所長の白髭さんはご不在のタイミングでしたが、食品の測定に使用する測定器や測定結果などを今野寿美雄さんに見せていただきました。
特にこの近くで取れたという野生のキノコは空間線量計を近づけるだけでも反応するほど汚染が高いものがあり、皆さん驚きました。
お庭にあるアート作品には、福島原発を指す巨大な矢印や、広島・長崎・ビキニ・チェルノブイリ等過去の核被害との接続を試みる作品もあります。おれたちの伝承館は、作品数が多くまた1つ1つの作品にじっくり触れていただきたいので、機会がありましたらぜひ実際に足を運んでいただけたらと思います。
イノベーションコースト構想の海沿いへ
海沿いへ、そして南下していきます。津波で建物も田んぼも流されて人が住んでいない閑散とした南相馬市から浪江町に入るその境界線から、いきなり様相が変わり近未来的な施設が現れてきます。水素エネルギーフィールド、太陽光発電パネル、集成材加工工場(大阪万博でも使われたらしい)の見える丘で寿美雄さんに解説してもらいました。
近隣には、ドローン実験場(飛行場のような滑走路)もあります。ドローンというと小型のおもちゃのようなものをつい想像しますが、実際には人が乗れるほどのサイズの飛行機みたいなものもあるそうです。またロケットを飛ばす実験場とか、シャインコーストファームというIT牧場(ほとんど人手をかけずに乳牛を大量に飼育・搾乳する施設)も建設中だそうです。
震災遺構請戸小学校
震災の記憶がどんどん薄れ、また建物も壊されてなくなっていく中、この請戸小学校はますます貴重な場所になってきているように感じます。
壊れた校舎などを目の当たりにして津波の恐ろしいまでの威力を再認識できることに加え、2階の展示室では、震災前後の町を俯瞰した写真や、津波後の救助が困難を極めた話、そして原発事故により立ち入りができなくなったことで救助を諦めざるを得なくなったことなど、当時の状況が図や写真も使ってしっかりと説明されているからです。
なかなかゆっくりと時間を取れず駆け足になってしまうのが残念なのですが、改めて訪れていただけたらと思います。
それにしてもこの震災遺構の真隣に市民の憩いの場となる「パークゴルフ場」なるものが作られつつあり、これもまた驚きました。
新しく完成した福島県復興祈念公園へ
全体としてはとても広い敷地で、全部を見て回ることはできないので、この日は寿美雄さんおすすめの1ヶ所だけを見学しました。その場所は、道路のセンターラインが大きくずれている場所です。地震の断層かと思われましたが、津波の引き波でずれたようです。左下の写真で黄色いセンターラインが1車線分大きくずれているのがわかります(ずれた亀裂に草が生えています)。下右の写真の遠く丘の上に見える「国営 追悼・祈念施設」へは伝承館から橋を渡って歩いていくことができるそう。丘の向こう側に伝承館があります。
東日本大震災・原子力災害伝承館
昼食にB級グルメのなみえ焼きそば(800円に値上げですが、ボリュームあり!お肉も厚いまま)をいただいた後は、東日本大震災原子力災害伝承館へ。今野寿美雄さんの解説付きなので、見落としてしまいそうなところをしっかり見られるのもよかったです。個人的には原発が市民にとってどれだけ「夢」であり東京電力の影響が大きかったのかに注目しました。習字が「原子力の利用」という標語だったり。次のページ右上の写真は最後の方、最先端のロボット技術で未来の安心をアピール? 「この伝承館自体がイノベーションコースト構想の一部なんだよ」という寿美雄さんの指摘がありました。なるほど確かにホームーページを検索してみれば、イノベーションコースト構想の文字がありました。
浪江駅前〜谷津田ソーラー発電所
浪江駅前は、壮大な駅および周辺の再開発事業という名の工事が進行中。駅周辺はだいぶ工事が進んでいて、駅前や駅舎も風前の灯といった感じ。隈研吾などが手がける、大変お金のかかった立派な駅になるようです。
そんな工事中の駅を通り、谷津田ソーラー発電所へ。 バスの両側見渡す限りソーラーパネルの波・波・なみ・・・ みんなため息。 これもまた東京へ送られる電気。放射線量が高いため、営農を断念するしかなく、ひたすらソーラーパネルの波。一部お墓のところだけは残っていました。
大堀地区(特定再生復興拠点区域内) 陶芸の杜 おおぼり
この日ちょうど、「大せとまつり」が開かれていました。各窯元による出展販売と 飲食の屋台です。
立ち寄ったのがすでに午後だったので、ほぼ屋台は終わっていて、陶器販売はまだやっていた感じでした。
駐車場に車を停めてこの場所を訪れ、談笑したり陶器をみたりしているお客さんたちがいます。
しかしこの敷地は端っこの方に行くとかなり線量が高く、このような場所でイベントをやっていることに驚きました。
私たちが訪れるのはせいぜい年に数回。
しかしそれ以外の日常も、放射性物質が未だ残っているホットスポットで、このようなお祭りや地域活動が 盛んに行われて「復興」が演出されているのではないか、そこを訪れる人たちや、その活動に関わる住民たちも、実際の汚染の実情を知らずに 活動をしているのではないかと心配になりました。
事故前からあったのかな? 建物の外壁にあった、かつての窯の数々を示す、焼き物で作られたタイルの地図。
地元の土と地元の釉薬をつかって焼き物を何代もにわたって作り続けてこられていた方がたくさんいたのに、原発事故はそれらを全て奪ってしまいました。
今、別の場所で再開をしたり、あるいは、戻ってこようという方も少しいらっしゃるそうですが・・・。
震災遺構ギャラリー「松永陶芸館」
ここは震災遺構として入れるのですが(要予約)、無人で、防犯カメラがついています。一応除染をしてあることが案内に記載されていますが、案内の最後に個人の被ばく線量の目安があり、大体1時間あたりの空間線量が0.4〜0.5マイクロシーベルト程度でした。決してそこに住める値ではありませんが、30分くらいチラっと見るにはしょうがないかなという感じか。この感覚は個人差が大きいと思います。絶対近寄りたくない人もいますよね。入りたい人はシューズカバーなどをつけて入りました。地震の時のままの時が止まった店内という感じでした。
津島の活性化センターなどは相当除染されて線量が低いのと比べると、同じ復興再生拠点区域内でも全体的に汚染が高い感じがしました。
この大堀地区は、経産省の助成金がたくさん出て、若いアーティストなどによるワークショップが行われるなどしていると聞いたことがあって気になっていたエリアでした。
やっぱり汚染が相当高いです。
このような環境で、若者が滞在してアートを作ったり発表したり、そこへ人々が集う構図は、とんでもない事業だと思いました。
目に見えない放射能の危険性をしっかり伝えない行政の作為的な方針に、人権軽視の恐怖を覚えます。
このように、かなりの駆け足でしたが1泊2日の研修旅行が終わりました。
道中、空間線量をチェックして記録し、その数値をあとから計算して被ばく線量を推計する課題をこなしながらの研修でした。