市民測定室のつくりかた|現場ノート Vol.8 まえがき(たたき台)
『市民測定室のつくりかた』をなぜ書くのか?
いま私たちが準備している『市民測定室のつくりかた』とは市民放射能測定室を始めたいと思った人が、できるだけ短期間に測定室を立ち上げ、測定活動を開始できるようにするための本です。開室してからも、日常的な測定を正確に行うには何に注意したらよいか、また、できるだけ長く測定活動を続けていくにはどうしたらよいかも分かる本です。ところでそもそも市民放射能測定室とはなんでしょうか。その言葉すら聞いたことがない人もいるかもしれません。そこで、時計の針を15年前に戻して説明したいと思います。
2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9の巨大な地震が発生しました。それにより大きな津波が三陸を中心に東日本の沿岸を襲い、多数の被害者が出ました。この千年に一度とされる東日本大震災は、原子力発電所の過酷事故も引き起こしました。東京電力福島第一原子力発電所事故です。この原発事故により東日本は大量の放射性物質に汚染されました。放射性物質は農作物や水産物からも検出されました。最初期は水道水からも検出されました。行政は様々な食品の放射能濃度を測定して基準値を超えるものには出荷規制をかけるようになりましたが、その基準値はとても高いものでした(2011年3月~2012年3月までは500 Bq/kg。2012年4月からは100 Bq/kg)。
2011年10月からは、順次各地の自治体で住民が持ち込んだ食品の放射能測定が始まりましたが、概して測定時間が短く、例えば10~20 Bq/kgを下回る汚染は検出されないようにしていました。また、多くの自治体では地元で採れた自家消費の農作物ではない市販の商品は対象外でした。さらに、土壌やハウスダストなど、食品以外に市民が測ってみたいものはいろいろあっても自由に測れるわけではありませんでした。そこで、自分たちが口にするものが放射性物質で汚染されていないか、たとえ行政の測定では不検出になるようなレベルの汚染でも明らかにしたいと考える人々は、自前の測定器を持って自主的な放射能測定を目指しました。自前の放射能測定器であれば、家庭菜園の野菜や地域の農産物、土壌やハウスダストやカーエアコンのフィルター等、なんでも自由に放射能汚染を調べることができます。
正確に書くと、自治体による放射能測定の開始よりずっと早く、原発事故の直後から市民放射能測定室を作ろうと動き始めた人たちはいました。その中には、1986年4月のチェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパや日本にできた市民放射能測定室の事例を知っている人もいました。市民による市民のための自主的な放射能測定室である市民放射能測定室は、大震災から数か月後には福島を中心にできはじめ、数年内には東日本から西日本にも広がり、一時は北は北海道から南は沖縄まで全国に100ヵ所以上できたと考えられています。東日本の汚染地から避難した人たちが参加した測定室もあります。
1986年4月のチェルノブイリ原発事故のあと日本にいくつかできた市民測定室の多くは2011年3月の時点で活動を終えていたものの、続いていたところが少なくとも二か所ありました。この先行例が、3.11後の日本にたくさんできた市民測定室のひとつのモデルとなったのは間違いありません。またチェルノブイリ原発事故で日本よりもはるかに深刻な汚染を受けたヨーロッパには、専従のスタッフが何人もいるNGOとして活動してきた団体もあります。そのようなフランスの二つの団体は、3.11後、日本の市民に測定室を作るための支援を惜しみなく提供してくれました。このことも、事故発生から短期間で市民測定室が立ち上がっていった要因のひとつです。
短期間で、とはいいますが、みたこともない測定器を百数十万から数百万円出して購入し、100キログラム近くあるその装置をどこに置くのか? どうやって測定するのが正しいのか? 経験のある人もほとんどいない中で、それでも子どもたちの安全のために、また身の回りの汚染状況を知りたいと、必死になって大人たちが試行錯誤しながら測定室を立ち上げていきました。
そして、なんとか市民測定室を立ち上げさえすれば話は終わりではありません。必要な専門用語が多すぎたり、結果をどのように伝えたらよいかわからないなど、様々な苦労や困難がありました。同時に、各地の市民測定室の中には、情報を交換し知識を共有することで、測定技術を向上させるところもありました。2013年にはみんなのデータサイトもでき、市民放射能測定室の測定技術を向上させる努力がさらに進められることになりました。
この間、日本各地にあった市民測定室の数は減り続けています。野生のキノコや山菜など一部の食品を除けば多くの食品から放射性物質が検出されることはほぼなくなり、当初あった大きな不安がなくなり、測定の依頼が減ったことは大きな理由ですが、それだけではありません。10年以上活動を続けてきたところには、メンバーが高齢化し後継者もいないため止む無く閉鎖されたところも少なくありません。このことは『市民測定室のつくり方』を書こうと思ったきっかけの一つです。日常的に正確な放射能測定を行う技術だけでなく、市民測定室を地域の仲間と立ち上げ、長期間運営を続けるという市民測定室の活動全般のノウハウが日本各地で蓄積されてきたにもかかわらず、このままではその多くが失われていってしまうという危機感です。
市民測定室の活動で蓄積されたノウハウをまとめても、市民測定室の必要がなければ意味がないと思われるかもしれません。しかし私たちは市民測定室の必要性は全くなくなったとは考えていません。
第一に、今も野生の山菜やきのこなど高いレベルの汚染が検出されるものはあります。商品として市場に出たあと、市民測定室の測定によって基準値を超える汚染が発覚することは少なくありません。また、土壌の汚染は事故直後と比べれば低減したとはいえ、もともと高かったところでは注意が必要です。事故直後には帰還困難区域とされていたエリアが、近年、急激に解除され、帰還・移住政策が進められてもいます。それらの地域においては今でも驚くほどのホットスポットが散見されます。また人が入れるようになった山野で育つ野生のキノコや山菜等が持ち出されたり、食されたりする恐れもあります。このような現在も残る放射性物質汚染の実態を知るために必要です。
第二には、残念なことですが、世界にはたくさんの原子力発電所や核施設があり、いつまたどこで大きな原子力災害が起こるかわからないという現実があります。2024年1月1日に能登半島地震が起こったとき、志賀原発の事故を心配した人は少なくありませんでした。あるいは、震源近くに作られる可能性があった珠洲原発がもし住民の反対にも関わらず作られていたらと想像してゾッとした人も少なくありません。最近でも、毎日のように日本中で大きな地震が多発しています。本来必要がない方がよい市民放射能測定室ですが、今と将来のためにできるだけ維持してゆくこと、そしていざとなったら新たに立ち上げられるようにしておくことが重要なのです。
「市民測定室のつくりかた」は、これから放射能測定室を立ち上げようというひとだけの本ではありません。長く活動してきた測定室の皆さんにとっても、専門機関に負けない技術で正確に測定し、信頼性も精度も高いデータを得るにはどうしたらよいかが学べる、十分に役に立つものにしたいと考えています。
以下は、予定されている各章の内容の簡単な紹介です。
「第1章 放射線を測る」では、放射線とは何か、その放射線を測るにはどうすればよいかを分かりやすく説明します。放射能とは放射線を出す性質(能力)のことですから、放射能測定の基本です。
「第2章 測定室を立ち上げる」では、放射能測定室を立ち上げるにはどうすればよいかを説明します。放射能測定室を立ち上げるには、測定器はもちろん、それを置く場所、測定する人が必要です。この三本の柱をどう立てればよいのか――しかもできるだけお金をかけずに――を実例を紹介しながら説明します。
「第3章 放射能を正しく測る」では、測定器の性能を十分に活かし、できるだけ正確なデータを得るためのノウハウを紹介します。
「第4章 汚染の実態を解明する」では、市民測定室の測定データによって明らかになった放射能汚染の実態について説明します。
「第5章 データを共有する・活かす」では、市民測定室が得たデータをどのように市民の間で広く共有すればよいのか、また、除染、避難、給食などに関わる政策を変えたいときに、測定データをどうすれば活かせるかについて説明します。
最終章の「第6章 市民測定室と民主主義」では、市民が自ら放射能を測る市民測定室の活動は、民主主義にとってどのような意味を持つか考えてみたいと思います。
(藤田)