【イベント報告】高知『ちっちゃいこえをきく いのちつなぐお話講座』

日時:2020年8月16日(日) 13時〜17時 
場所:高知県高知市文化プラザかるぽーと
主催:いのちつなぐ

*この催しは、もともと3月に予定されていたものですが、新型コロナウィルス対応のため、8月に延期になったものです。県のガイドラインに沿って開催しました。



主催の「いのちつなぐ」さんから、登壇の打診をいただいたのは昨年6月でした。

「普通の市民でも、こうして調査し、書籍を発行できるのだ!という具体的な事例を高知の人たちに伝えたい。」ということでした。

それから1年・・・。詩人のアーサー・ビナードさんが7年間かけて完成させた、紙芝居「ちっちゃい こえ」と、みんなのデータサイトの「図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集」そして、高知県のニラ農家で、『日本国憲法前文お国ことば訳わいわいニャンニャン版』発起人である山本明紀さん、そして、『ビキニ核被災ノート』や『ビキニの海』の紙芝居をご紹介くださる、ビキニ労災訴訟原告団長の下本節子さんが登壇される大変豪華で濃密なイベントとなりました。

このメンバーに共通しているのは、それぞれが、自分が信じたちっちゃいこえに耳を傾け続け、情報を集め続け、長い年数をかけながらそれを集大成として1つの本や作品にまとめることができた、ということでした。

以下、イベントの模様と感想です。




アーサー・ビナードさんからは、広島の原爆のお話で、「ピカ」と「ピカドン」2通りの呼び名がある。

それは原爆が落ちた時点でその人がいた場所による、といったお話。

原爆が落ちたあと、入市した人らのあいだで「赤痢」が流行った。医師らが下痢などの症状のある人たちを、病院が吹き飛ばされたりして足りないので、かろうじて残った建物、例えば福屋デパートなどに「隔離」した。

しかし・・・実はそれは赤痢ではなく、内部被ばくによるものであった、というお話。
新型コロナという「感染症」がある今、原爆が落ちた75年前にも感染症と呼ばれるものがあったのかと、重なるお話でした。

それから原爆で亡くなった子どもたちの遺品が「8月6日のあの日」を語る写真絵本『さがしています』や、丸木位里・俊さん作の壮大な「原爆の図」をもとにした紙芝居『ちっちゃい こえ』の実演がありました。




そのあと、アーサーさんとデータサイトの中村によるトークで、みんなのデータサイトについてと、マップ集ができた経緯など紹介をさせていただきながらアーサーさんとトークをしました。

2011年の原発事故後、全国で「食べ物や水、土など 自分たちの身近なところに放射能がどれくらいあるのか知りたい!」という、市民の切実な思いから、全国に市民による、放射能の測定が広がったこと。それは全国で100以上もあったこと。

その中で、それぞれが測定しているデータを集約して、全部一度に結果を見ることができたら便利なのでは?という思いと、そのデータを記録として未来にきちんと残すことが、大切なのでは?という思いから、測定室同士が横の手を繋いで、データを共有化する仕組みを考えた。それがみんなのデータサイトであること。

食べ物のデータベースができ、その次に、土のデータベースを作り、汚染を地図化するプロジェクト「東日本土壌ベクレル測定プロジェクト」を立ち上げ、市民の皆さんに呼びかけて、3年半かけて、コツコツと、同じやり方で土を集めてもらい測定を続けて地図化。


これを書籍にしたのが『図説17都県・放射能測定マップ+読み解き集』

売れるとは思ってなかったが、とにかく書籍として記録に残したいという思いで、クラウドファンディング で資金調達したところ大反響だった。
放射能の本としては異例で、この1年半で、シリーズで累計2万部以上を発行している。


●『図説・17都県 放射能測定マップ+読み解き集 増補版』
土・食べもの・放射能の基礎知識、までを イラストやグラフを豊富に、オールカラーで紹介。
詳しくはこちら→ https://minnanods.net/map-book/

高知の方にとっては、データサイトはほとんど知られていないし、マップ集には「高知県」の地図はありません。
しかし、みなさまには大変熱心に耳を傾けていただけたと感じています。

それはなぜか。

それは、このイベントのもう1つの柱である「核」において、共通項が大いにあったからです。




950年代にアメリカによって、幾多の核実験が太平洋上で繰り広げられました。
いわゆるビキニ核実験です。

関東に住む者にとっては、ビキニといえば「焼津」というイメージでした。

しかし、実は、その当時、高知県からも、たくさんのマグロ漁船がマーシャル諸島へマグロ漁へと出ていたのだそうです。
そして、多くの漁師さんや船がひどい被ばくをすることとなったのです。
その数、のべ1,000隻を超えるものだそうです。

そのことを、60年の時を経て伝えてくれるのが、この日特別に上演していただいた紙芝居『ビキニの海の願い』であり、『ビキニ核被災ノート』という書籍です。

この日登壇された下本節子さんは、お父さんがマグロ漁船で被ばくさせられました。
アメリカと日本政府は、ビキニ被ばく事故についてわずか9ヶ月で政治決着を図りました。
ほとんど「第五福竜丸」以外の船の被ばくについては、隠蔽するような状態でした。

このことを、2011年の福島原発事故をきっかけに、やはり原子力の平和利用など無理なのだ、安全神話などないのだ、二度と被ばくが隠蔽されないよう、世に問いたい、と『ビキニ核被災ノート』の出版にいたります。

また、もと乗組員たちへ一刻も早い救済措置をもとめ、労災訴訟を起こされたとのことでした。

現在まだ裁判は継続しています。下本さんは原告団長を引き受けられました。

下本さんによるスピーチは胸に迫るものがありました。
以下、ご本人に了承をいただきましたので 皆様にも聞いて(読んで)いただきたいと思います。


高知市の下本節子です。
父親が室戸のマグロ漁船で働いていた1954年ビキニの水爆実験で被災しました。
ビキニの核被災は長年「第五福竜丸」以外無かったことにされてきました。

では何故60年以上隠されていた核の被害が今あきらかになったのかというと
まさに「ちっちゃいこえ」を聞いたのが始まりです。

ビキニ核実験から30年後、「幡多高校生ゼミナール」の生徒と先生たちが
「足元から平和と青春を考えよう」と地域の現代史の発掘をしている時に、
藤井節弥さんのお母さんに出会いました。

節弥さんは小学生の時、長崎の原爆で被ばく。
その後大変な苦労をしながらお母さんの故郷宿毛に移り住みます。
そして室戸のマグロ漁船で働いている時に太平洋の水爆実験でも被ばくしました。

当時 アメリカは太平洋で30回以上核実験を行っています。
節弥さんはもしかしたら、核の海で何度も被災していたかもしれないのです。
精神的にも追い詰められていったと思います。船で働けなくなり入院。
その後、入院していた久里浜病院を抜け出し、海で入水自殺しました。
27歳でした。

幡多ゼミの高校生たちは、節弥さんのお母さんと出会ったのがきっかけで
たくさんの被災者が高知にいることを知り、高知県全域の聞き取り調査を始めました。

最初はなかなか話してくれなかった船員たちも、熱心な高校生たちに、自分の事や 病気で亡くなった仲間の事を話してくれるようになりました。
この時の聞き取りメモの中に、私の父親が話した記録もありました。

被害者が、自分の被害を話すのは勇気がいります。
「被害を話すことで、差別される」「言っても分かってもらえない」という感情があります。
特に放射能による被害は「子供や孫に影響するかもしれない」という心配も付きまといます。

父と同じ船で働いていた船員は、「被ばくしたことを話したら将来こどもが結婚できなくなるかもしれん!」と船長に口止めされたそうです。
私も子供の頃、何かにつけて「家で聞いたことを人に言われん」と口止めされました。
子どもは言っていいことと、悪いことの区別がつきません。だんだん無口になっていきました。

私より少し年上の女性は、室戸の港に並べられた冷気のたつマグロを、白衣を着た男性がガイガーカウンターで調べているのを見ていたら、 お母さんに「見たことを言われん。ゆうたらアカって言われる!」と言われたそうです。

社会科の教師だった山下正寿さんと仲間の先生たちが30年以上も地道な調査を続けてくれたおかげで延べ1,000隻の被害の実態があきらかになりました。

「放射線を浴びたX年後」の映画の中で、山下正寿さんが、「何度も諦めようと思った。 小さい蟹がトンネルを掘っているような気持ちだった。」と話しています。

私は、父が亡くなったあと、「もう一つのビキニ事件」という本や 、 幡多ゼミの生徒たちを撮影したDVD「ビキニの海は忘れない」を観て初めて事実を知りました。

日本政府は、被災したマグロ漁船の調査資料を隠してきましたが、2014年にアメリカの外務省でビキニ関連の資料が開示されたことで、私たちは船員の「労災申請」と、国の責任を問う「国賠訴訟」へと足を踏み出しました。

船員や遺族が当事者として初めて名乗りをあげたのです。

国賠訴訟は高松高裁までいきましたが、棄却されました。

今年始まった裁判は、労災を認めない「健康保険協会」と、船員への「損害補償」を国に求める、二つの内容を持つ裁判です。
裁判の原告とか労災の申請は船員や遺族でないとなれないので、私は原告になることで、長年調査を続けてくれた山下さん達に協力していきたいと考えています。

科学的な裏付け資料もあります。
広島大の科学者のグループが、2013年から船員の歯や血液を調べて、当時の被ばく線量を推定しました。
結果は広島の爆心地から1.6kmの被ばく線量に値するという報告が出ました。

ところが、厚労省研究班は、加害者であるアメリカの65年前のデータを基にして、
「健康影響がでる被ばく量は示せなかった」として私たちの訴えを認めません。
御用学者って本当にいるんです。

私が船員の労災申請や国賠訴訟に加わった一番の動機は、2011年にフクシマ原発事故がおきたからです。
放射能の被害を小さく見せようとする政府の姿勢にビキニの時と同じだと怒りを覚えました。

たくさんの船員たちを何の救済もせずに放置してきた。
翌年にはアメリカと政治決着して、被ばくの事実を無かったことにした。
そして「原子力平和利用博覧会」を主要都市で開催して、原発を導入した。
それが、フクシマの原発事故につながっている。
しかも、またしても「オリンピック開催」で国民の目を誤魔化そうとしている。
許せんと思ったからです。

今回のビキニ労災訴訟は、若い弁護士さんたちが8人の弁護団で応援してくれています。
そして、7月には日弁連が 「太平洋・ビキニ環礁における水爆実験で被ばくした元漁船員らの健康被害に対する 救済措置を求める意見書」を出してくれました。
日弁連は42,000人の会員がいるそうです。とても励まされました。
山下さんの言う「カニのハサミ」がトンネルを貫通したのかナと思いました。

日本という国は、なぜ放射能被害を認めないのでしょうか?
広島の「黒い雨訴訟」も、国が控訴すると聞いてあきれました。
黒い雨もビキニの水爆実験被害も「内部被ばく」です。
汚染された海水や雨、魚の内臓等・・船員の体に入った放射性物質が体の中から放射線を出し続けるのです。

広島に落とされた原爆はウラン型、長崎はプルトニウム型。
アメリカがビキニ環礁で行った水素爆弾の総威力は広島型の3,000倍だそうです。
これは広島型の原爆を毎日1個ずつ落として、8年以上続けたことになります。

国賠の裁判の中で、船員の谷脇さんは「核兵器を無くして欲しい」と裁判長の前で言いました。
2017年に国連で採択された「核兵器禁止条約」が発効されるのは、批准国が50カ国に達した時です。あと6カ国です。
被爆国の日本が批准しないのは、本当に恥ずかしいです。
私はこの間、日本政府の被害者を無視した誠意のないやり方に腹を立ててきました。
でも今は、日本人がなぜ何回も同じことに騙されるのか、疑問を感じています。

是非、皆さんの意見を聞かせて下さい。

(ここまで、当日のスピーチのまま。下本さんに了解をいただき掲載しました)

『ビキニ核被災ノート』は、日本国政府が60年以上故意に隠してきたビキニ核被災事件の体験を32人の当事者(マグロ漁船員・その遺族)が語る真実の証言集です。
「キノコ雲を見た。こんなに大きかった」「雪と思うて集めて食べた」驚くべき生の証言や写真が並びます。この証言は「幡多(はただ)高校生ゼミナール」という高校生らによる聞き取り調査に端を発しています。下本さんのお父さんも載っています。


つづいて、「ビキニの海のねがい」という紙芝居の実演がありました。高知の漁師さんたちがどのようにビキニ沖で水爆実験を目撃し、また被ばくしたのか、その後どうなったのか・・・核のない世界への願いが力強い絵とともに描かれており、お子さんにもわかりやすい作品となっています。 
こちらも多くの方に届けばと願います。

●「ビキニ核被災ノート 〜隠された60年の真実を追う」
ビキニ核被災ノート編集委員会(編)
2017年3月1日発行 238ページ
価格:1,000円(+送料)(ボリュームディスカウントあり)
●紙芝居「ビキニの海のねがい」は26枚組で2,000円。送料着払いで郵送します。
●紙芝居のDVD版は送料込みの1,500円です。
いずれも、太平洋核支援センターの ホームページ(http://bikini-kakuhisai.jet55.com/)から注文出来ます。




『日本国憲法前文お国ことば訳わいわいニャンニャン版』発起人である山本明紀さんからはこのようなお話が。


憲法改正という話が出た時に、憲法を知らん、周りに聞いても誰も知らん、これでは賛成も反対も議論もできない。まずはみんなが憲法を知るには? 身近な問題として捉えるにはどうしたらいいか? ニラ畑の真ん中でポーンと考えが浮かんだ! そうだ、それぞれのお国言葉に訳してみたらどうだろう! 身近に感じられるのではないか? 
こんな思いつきから、ブログやフリーペーパーでの呼びかけ、人づて、人の紹介の紹介の紹介・・・と、地道にコツコツと各都道府県のお国ことば「訳」を収集し続けては、ウェブサイトで公開してきたというお話でした。

徐々に話題となっては広がり、全部集まったのはなんと5年後のこと! そこで出版社の目に留まり、書籍化が決定! なんと猫写真で有名な岩合光昭さんとのコラボという素晴らしい本になりました。
『日本国憲法お国ことば訳 わいわいニャンニャン版』は、各県のお国ことば訳に加えて、岩合さんによる各県の猫の写真が入っており、そして出来上がるまでの過程や各地域の方々とのやりとりの裏話などエピソードも満載です。

その後、会場からの質問など交流コーナーで時間いっぱいとなり、たいへん濃いイベントでした。

自前で出版したか、大手出版社の目に止まったか?という点はちがうのですが、データ(情報)あつめや本づくりの苦労は同様ですし、コツコツと集まったものをウェブサイトで公開しながらよりたくさんの情報を集める手法はまったくデータサイトの土壌プロジェクトと同じでした。こんな先輩がいたんだ!!とびっくり。
またいつか 山本さんと一緒に本づくりについて語り合いたいと願っています。


●日本国憲法お国ことば訳 わいわいニャンニャン版
勝手に憲法前文をうたう会・編 写真:岩合光昭
小学館発行 2010年6月20日初版発行 140ページ 1,800円+税
購入はAmazonや書店からお願いします。




最後に・・・
東日本から離れている高知県で原発事故がどのように捉えられているか、放射能問題についてどのように感じられるか?と思っていましたが、高知は今でもビキニ被ばく以来の「当事者」がたくさんいて裁判も現在進行中であること、黒潮町は原発誘致の話がのぼった際、「きれいな海」を産業にするために塩を特産品とすることで誘致を阻止したというお話も伺い、決して他人事ではないのだと知りました。
黒潮町の塩・・・「土佐の海の天日塩 あまみ」など。

県内でさまざまに活動されている方々との繋がりができたことに感謝し、これからも交流したり情報交換していければ、と感じています。一人一人の力は小さくても、繋がり、伝えあってお互いを応援しあっていけたらと思います。

ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
司会進行の元子ども図書館の館長、古川佳代子さんにもお世話になりました。
そしてこの企画をしてくださった「いのちつなぐ」のタナベヨシカさん、本当にありがとうございました。


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