2021年の3.11 市民測定の記録

みんなの放射線測定室「てとてと」 専従スタッフ 北村 保

2011年3月、原発事故直後「ここから引っ越すか?」と、ずいぶん悩んだことを今も思い出します。
事故前までに19年住んできたこと、運営している小さな学習塾で勉強を教えている子供たちも暮らしていること、それらのことがここでこれからも暮らしていくことを決断させたのかもしれません。
ですから、この地で暮らしていくために現実から目を背けず、放射能濃度を正確に把握していくことが重要でした。

その思いは、2011年11月にオープンした「みんなの放射線測定室「てとてと」という形になりました。 

おかげで、わたしたちが栽培している野菜すべてを放射線測定できるようになりました。
無農薬野菜の産直をしていた私たちにとって、予想以上に野菜が放射性セシウムを吸収しないことが幸いしました。
しかし、一緒に届けていた山菜(タケノコ、タラの芽、山ウドなど)、果樹(ゆず、梅,栗)など、届けることを断念したものも多々ありました。

原発事故からもうすぐ10年が経過しようとしている2020年、うちの果樹については「てとてと」での測定で、検出下限値以下(約2 Bq/kg)になりました。
しかし、宮城県南部でも場所によってはタケノコなどいまだに国の基準値の100 Bq/kgに近い数値を示すものもあります。
コシアブラについては、いまだに100Bq/kg以上の数値を示すものが多く、県内では最大で  585.74 Bq/kgのものもありました。
測定依頼の中で変わったものでは、林業の方が東京電力に賠償請求するために、シイタケ原木のおがくずを測定に来ます。
原発事故以降のシイタケ原木の規制基準値が50 Bq/kgで宮城県南部の原木はこの数値を大きく上回っていて販売ができない状況が続いています。

「みんなの放射線測定室「てとてと」を始めたとき、10年を目標に掲げました。
オープンから9年4か月、たくさんの方々に利用していただき、全国の方々からご支援金をいただき、測定室を運営し続けることができました。
心から感謝しています。
この秋10周年を迎えるにあたって,運営委員会で今後の運営について何度か話し合いを持ち検討してきました。
春は山菜を出荷するために、秋は新米の安全性をお客さんに伝えるために、山のキノコを食べる、食べないを判断するために、現在も放射線測定を必要としている人がいること,そして東北電力が2022年を目標に女川原発を再稼働しようとしているという状況での放射線測定室の必要性。
10年以降も「てとてと」を続けていこうという結論に至りました。

運営委員も10年が経過して年を取り、以前と同じような活動はできなくなりつつありますが、今後も私たちの活動を見守っていただけると嬉しいです。


2021年の3.11 市民測定の記録