低汚染地域で測るということ
札幌では幸いにも福島原発事故の直接の影響はほとんど受けずに済み、そのためもあってか市民からの放射能測定を望む動きは、主に小さな子供を持った若いお母さんたちなど食の安全に敏感な女性たちから起こりました。
ただ、泊原発建設当時からの反対運動の経験者や映画「六ヶ所村ラプソディ」に触発されて泊のプルサーマル化に疑問の声を上げたグループ、2008年の洞爺湖サミットに対抗して全国、全世界から集まった抗議運動を混乱させずに受け入れるため結集した広範な市民運動、そして、3.11を見て集まった幅広い普通の人たちの反原発デモや福島からの自主避難者の方々を支援するグループなど様々なつながりが生まれていたので、広く呼びかけられた準備会には、この珍しい「理系の市民運動」に興味を持った様々な人が様子を見に集まりました。
私もその口で、原子力も測定理論も全く専門外ですが、大学で理系を齧った経験からこのような測定では理屈を理解して正しい手順を踏まないと間違った数字が出てしまう危険があるけれど、大丈夫だろうか、と始めはオブザーバーのつもりでの参加でした。
多少とも専門知識のありそうな方は、きちんと測定するのは専門家に任せるべきというような立場で、測定所の立ち上げまで残ったのは専門知識のない正真正銘の素人ばかりのスタートでした。
準備会での技術面の最初の議論は測定器の機種選定でした。
資金は有志のカンパのみなので高額機種は対象外と思われました。
札幌のように事故の影響が小さかった地域での測定は低濃度中心になることが予想され、検出下限値はできるだけ低いほうがいいと思われましたが、何せ素人集団なので、扱いにくい機種では心配です。ネットでのカタログを集めていろいろ検討しましたが、誰も使ったことがないカタログ情報だけでは使い勝手など判断しようもなく、結局最安値で最も自動化され簡単そうなATOMTEX機に落ち着きました。
一般的なNaIシンチ機種間では実際上の検出下限値にも大差はないようで、低濃度の土壌検体などの測定で誤差が大きめになる欠点は判明しましたが、結果的にはこれで正解だったようです。
2012年5月に測定器が納入されてからは、先ずはメンバーそれぞれが身の回りの気になったものをものをなんでも次々測ってみたり、測定時間や検体量を替えて同じものを測ってみたり、ソフトウエアの作る各種のファイルの内容を調べてどこにどういう測定データがどういう形で記録されているかを探ったりと、群盲象を撫でるの方式でそれぞれが手当たり次第に試行錯誤してみました。
被汚染地域の方には申し訳ない恵まれた悩みですが、道内の流通品中心の測定では大部分がNDとなるため、測定器が正常なのか不安になることもあり、時々は伝を頼って福島や関東地方の土壌検体なども提供してもらい、ある程度の高濃度検体の測定経験も確保しました。
そこから、高濃度の検体は短時間の測定でも正確に測定できるが、低濃度、特に検出下限値付近の検体はかなりの時間をかけないと測定のたびごとに値のブレが大きく、信頼できる測定ができないことがわかってきて、独自の測定標準も決まってきました。
また、測定開始から2年くらいの期間は検出下限値前後の微妙な検体は時々ゲルマニウム測定器でクロスチェックしていただき、下限値以下でも検出されるケースや下限値以上でも疑わしいケースなどの判断のための経験を重ねました。
一方で測定器を購入した代理店アドフューテック社の作成した日本の説明資料に始まり、道内外の市民測定所で経験者に話を聞き、独自の測定マニュアル等の資料もいただき、市内の北大で環境系の研究室で放射能測定をしている先生にもアドバイスをお願いしたり、理論面の勉強にも手を尽くしました。
その面でのまとまった知識を得る機会は、2012年6月から、北大のこちらは工学部で行われた「原子力人材育成等推進事業」という学生および市民向けの無料の公開講座でした。
測定理論や放射性物質の土壌中や地下水中、植物中の挙動などの講義2日、ゲルマニウム測定器の灰化検体の調製、サーベイメーターの使用法、水道水の含有元素分析などのテーマの学生実習2日という大学レベルの盛り沢山の内容で、実習では単なる受身の実務体験に留まらず結果のエクセル解析とグループごとの発表も求められる本格的なもので、ほぼ類似の内容で半年ごとに数年行われました。
工学部ということで講師陣は「原子力村」側の人々で、敵情視察的な興味も持って参加しましたが、基礎学問レベルでの発言は予想外に中立でまともだったという印象です。
それはさて置き、こうして放射能測定の理屈が見えてきたところで測定で得られる測定値の意味を考えてみると、検体が発したガンマ線を検出器が一定の割合で検出し、それをエネルギー毎に分別して測定時間内のそれぞれの数を記録した一組のデータセットが測定器で得られる本質的なデータであることが判ります。それをグラフで表現したものが「スペクトル」です。
公式の「測定結果」とされる、核種ごとに表示される測定値(ベクレル値)とは、そのデータセットを使い、核種ごとにガンマ線の持つエネルギーが決まっている事を利用してスペクトルを一定幅の部分ごとに切り分けた上で、一定の仮定の下で計算して出されたものです。そのため、計算で使った仮定と現実の検体の条件が異なっていた場合、誤検出、誤判定が起こるのです。
仮定された条件としてまず、検体が成分の偏りがなく均質かどうか、決められた形状に詰め込まれているかということがあります。
そのほかの仮定として、シンチレーション測定機の場合重要になるのが、ゲルマニウム測定器と比べてエネルギー毎の分別がルーズで一定の範囲にぼやけてしまう(エネルギー分解能が低い)という性質のため、測りたい核種とある特定の別の核種が重なって上手く区別できず妨害を受けてしまうという問題を避けるために、検体の中にその別の核種を含まないという条件を仮定しなければならないということがあります。
通常対象となるCs137、Cs134、I131、K40の測定の場合、一般の食品であれば問題となる妨害核種は普通ほとんど含まれず、通常誤検出等は起こりません。
ところが土壌を測る場合だと、問題となるPb214、Bi214という核種などが自然核種としてある程度含まれているため、低濃度のCsなどを測定する場合、誤検出、誤判定が起こってしまいます。
その際表示されたベクレル値からもこの誤検出等を見抜ける可能性はあります。よく知られているようにCs137とCs134は半減期がかなり違うため、現状でCs137よりCs134が高く検出されることはないと言えますが、誤検出の場合、これが逆転することがよくあるからです。とはいえ、条件によっては逆転しないこともあり必ず判別できるわけではありませんが、その場合でも、スペクトルのピークの有無を観察すればほぼ確実に誤検出の可能性を判定できます。
自然核種のPb214、Bi214はウラン系列という同じグループに含まれる親子の関係にある核種で、自然環境では一方が存在すれば必ず他方も存在する関係にあるので、両者に特徴的な3つのピークだけがあれば誤検出、更にCs137のピークもあれば過剰評価が起こっている可能性が高いと判断できます。
北海道では一般にウラン系列以外の影響は稀と思われますが、西日本などではトリウム系列というもう一つ別のグループの核種の影響も考慮する必要があるようです。
更に問題はより複雑でした。通常は食品にウラン系列などの自然核種が含まれることは(土付などでなければ)稀なのですが、経験を重ねる中でこれにも時に例外があることが分りました。
「ラドン効果」などといわれるケースで、ウラン系列の上流側に含まれる核種のRn222が気体であるため空気に混在して部屋の中などに滞留してしまうことがあるとされ、それを起点として発生したPb214、Bi214が前処理中に検体中に混入して検出されることで起こると考えられているようです。
このケースでもスペクトルには土壌の場合と同様のピークが現れますが、土壌など検体中に元々自然核種の親核種が存在する場合とは異なり、放射平衡による補充を受けないため、半減期が共に30分に満たない両核種は4~5時間放置後に再測定すれば崩壊して検出されなくなるという特有の挙動を示すために、途中混入の可能性が高いと判断することができます。
因みに、これらのスペクトル目視によるピーク判読では、ピークの想定される位置がチャンネルごとの単なる確率的な計数変動の山と合致した場合に、ともするとそれをピークと誤判断してしまう危険があります。先にも触れましたとおり、シンチレーション測定機の核種特有のピークは広がりを持ってぼやけた形状が特徴であり、1~2チャンネル幅の鋭い山はピークではありませんので判読に際してはこの点十分に気をつけないといけません。
測定結果として採用できる、メーカーが精度保証している測定値は、あくまで測定器が計算結果として表示した測定値なので、この検証作業だけでより正確な測定値を定量出来る訳ではないですが、このようにスペクトルの核種ピークの状態を確認し、核種同士の挙動の関連を考慮して判断すれば誤検出や過剰評価の可能性の高い測定値のほとんどを察知でき、十分な根拠を持ってND判定したりクロスチェックの必要性を判断できるわけです。
私たちのような素人集団であっても、より信頼される測定を目指して9年間粘り強く測定を続けてきたからこそ、測定器の持つ限界と潜在能力を判ってきたのだと思います。
こうした判断手順を、AT機で誤検出等を避けるための簡易判断マニュアルとして参考にしていただければうれしいです。
このような誤検出を避けるソフト面のノウハウの積み重ねと並行して、測定器の遮蔽の弱点をその時々で手に入る材料で追加遮蔽して補足し、測定時のバックグラウンド値を下げることで検出下限値を下げるハード面の改善も重ねてきました。
AT機の遮蔽の弱点は検出器下部がむき出しになった遮蔽体下部にあります。納入3ヵ月後に建築資材のルーフドレーン用の鉛板の漏斗を細工して下部を被い、その5ヵ月後に他の測定所さまのご厚意で譲っていただいた更に厚い鉛板を検出部下部に直接巻付け2重の遮蔽とし、2年後にはドーナッツ状の鉛材を積み重ねる形の総重量300kgを超える中古の遮蔽体を譲っていただいて、足を外した本体を直接乗せる形に大改造して下部遮蔽を完璧化できたと思っていたのですが、この度思いがけず測定所移転を強いられる事態となり、ようやく見つけた移転先では空間線量が移転前より0.03μSv程度高いことが分り、かなりバックグラウンド値が上がってしまったため、極力損失を取り戻そうと急遽2Lペットボトル83本を測定器周囲に積んで追加遮蔽を試みて、損失分の6~7割を戻しました。その結果初期状態でおよそ13.5cpsだった起動時バックグラウンドテストの数値が、現在は8.0cps程度に下がっています。
このようにして北海道で9年間測定を続けてきて分ってきたのは、まず、事故直後の一時期を除くと道内で普通に流通している食品類に関しては一般的測定で検出できるほどの汚染はほとんど見られないといえることです。その点ではここでの市民測定の意義は、流通の変化などや新たな事故も含め将来の危険に備えた警戒や現在の安心の確認に留まるとも言えます。
ただし、もう一つ違う面も判ってきました。ごく一部の特定の食品などの一部の検体では、程度は高いものでも10Bq/kg以下のレベルではあるもののかなりの頻度で放射性Csを検出する検体があるのです。
食品でいえば、原木栽培のシイタケがその代表です(対照的に、シイタケでも菌床栽培のものからはまず検出されません)。また道産材の焼却灰からも、こちらは灰化濃縮でもう少し高い濃度も検出されます。
これはなぜか?これらの検体に特徴的なのは、事故直後の測定からずっとCs134はすべてNDで、Cs137の単独検出だということです。これは福島事故由来の放射能ではない事を意味します。
過去の大気圏核実験やチェルノブイリ事故由来の放射能なのです。同じく、道内の土壌検体から10Bq/kg程度のCs137を検出することはも珍しいことではありません(もちろん、自然核種の影響を除外してです)。北海道は国内でも過去のCs137の影響が高めの地域だったのです。低濃度ではあっても、「知らないうちに浴びていた」というのは違う意味でショックで、放射能の認識が少し変えられました。
ただ、幸いなことにこの影響が検出可能なレベルで植物に移行した例はごく特殊な地点の例を除き出ていません。これらの特異例の監視と原因究明も私たちのテーマの一つとなっていて、将来の課題といえます。
低汚染地域にもそれぞれの取り組むべき課題があるのです。
更に、過去の汚染の問題は他の地域の方々にとっても他人事ではないはずです。輸入食品でもこの同じ問題は見られるからです。
はかーるでもこれまでヨーロッパ産の輸入(生)キノコでは数十Bq/kg(最高例は78.6Bq/kg)のCs137を何回も検出してびっくりしたことがあります。地域と濃度の高さから、これはチェルノブイリ由来だろうと考えています。
世界は放射能にあふれている。これ以上増やしてどうするの?
福島事故が決して過去のことになった訳ではないのと同じで、過去も終わってしまった静止した無害な過去じゃない。この現実を見たらCO2対策で原発再稼働なんて、狂気の沙汰。