2021年の3.11 市民測定の記録

 2011年3月11日、大きな地震を受けました。一度揺れが収まっても、何度、何度も繰り返す余震。初めての体験でした。慌ててラジオを付けると、仙台湾で高さ10メートルの津波予報、信じられませんでした。

 次の日、原発が水素爆発とニュースがあり、私の住む、宮城県丸森町にも、南相馬市から人々が車に慌てて荷物を積んで、公民館や集会所に避難してきました。

 3月14日の日中、自転車で動いていました。この日に3号機が爆発しました。次の日、胃が消化不良で調子が悪く、一日、絶食して休んでいました。この時から、放射能は怖いと体で思うようになりました。

 福島第一原子力発電所には、ほどんど近くにも行ったことがなかったので、遠くにあると思っていましたが、実は直線距離で60キロメートルの距離でした。

 地震から一週間後、ようやく電気と通信が復旧しました。そこから原発の状況や放射線について調べることが出来ました。3月の末に、有機農業の仲間が、ガイガーカウンターを数台支援で受け取ることが出来、手分けして周辺地域を調べて歩きました。自宅の近くで1.3μSv/hありました。

 その夜、丸森町近隣の有機農家の仲間が集まり測定結果を共有しました。初めての数値や単位にどう判断したらいいのか悩んだのを憶えています。

 測定していくうちに、刺激臭や軽い頭痛のような体感で線量の高い場所が分かるようになりました。

 6月に福島市で放射能関連のイベントに参加した時に持ち運び可能な大きさのベクレルモニターで食品の放射能を測定している様子を見ました。開場と同時に測定予約が埋まったことを憶えています。

 福島市のやすりのようなザラザラ感のある空気、そんな中を子どもたちも歩いている姿を見てなんともやるせない気持ちになりました。

 7月17日に支援でホールボディカウンターと簡易式放射能測定器が入ることが決まり、それからは測定所開設に向けてバタバタと考える暇もないほど準備することになりました。



 追伸、先日2月13日に震度6弱の地震がありました。10年前の3.11の余震だそうです。震災はまだまだ終わらないと改めて思い知らされ思いました。


2021年の3.11 市民測定の記録