はかーる・さっぽろとの出会い
テレビに映る信じられない光景を見ていたのは夫の母の葬儀式場である寺においてであった。
シニア海外ボランティアとして2年間の活動から帰国して半年後の2011年3月11日のことである。
葬儀の合間に見るテレビでは「チェルノブイリ原発事故とは違う、日本の原発の安全神話」を声高に語る政治家の言葉とは裏腹の惨状をみせていた。
2年間のチュニジアでの生活は私のそれまでとは大きく変わり、自分自身にのみ責任を負えばよいと限りなく自由を満喫できた日々であった。帰国すると夫は病床にあり義母と伯父も病院にいた。日本社会に感じる閉塞感もあった。
2012年には父が7か月の闘病後に亡くなった。あわただしく変化する身辺に一区切りをつけたように思った。やっと現実と向き合ったとき、福島原発事故が心に刺さった。原子力工学科の材料講座の助手として端の端ではあるが原子力研究者であった私が、原発が日本にこんなにも数多く稼働して、大きな事故を起こしたというのにしっかりみてはいなかったのだと。こんな事故を起こしたことの責任の一端を思わずにはいられなかった。
そんな時に「はかーる・さっぽろ」に出会った。ここで私のできることを見つけたように思う。
実際に放射能測定に携わることで、放射能の恐ろしさを伝えることができる。
次の世代に負の遺産を残さないこと、そして美しい日本を残すための一助になることを、願いつつ。